お茶やコーヒーが熱くて飲めない時、平針人は、

「ちんちんで飲めえへんがや」
と言います。お風呂を沸かしすぎて、とても熱くなった時も、

「ちんちんでうめな(水をいれな)入れん」
と言います。酒場で酒を頼む場合、熱燗にして欲しい時は、

「ちんちんにつけてちょう」
と言います。

いずれにしてもこの《ちんちん》、イントネーションを変えたら、とてもじゃないが人前では言えません。

親父や上役を怒らせてしまい、とりつくしまもないほどになった時、

「あかんわァ、ちんちんになっとらっせるもん」
と言ったりしますが、これを他地方の人が聞いた場合、はたしてその《熱い》様子を察してくれるか、《いきり立つ》様として受け取っちゃうかは甚だ疑問であります。

ちんちんの次はポンポン。全国的にポンポンと言えばお腹を意味する幼児語ですが、ここらあたりでは、いっぱいで満タンのことをポンポンと言っています。

例えばお風呂。湯加減を報告する場合、熱くて湯量もタップリであれば

「ちんちんでポンポンです」
と言います。

いっぱいの時はポンポン、はち切れそうな時はパンパンですが、きつく締まる様はキュンキュンと表現します。もっとキュンキュンの時はギュンギュン。どうも○ン○ンという言い方が好きですね。

悶々や深々など全国的にも○ン○ン系は多々ありますが、ご覧のように大概のものは漢字で表わすことが出来ます。

「カンカンだで歯がたてせんわ」
と、堅焼きせんべいをお茶に浸して食べ、

「コンコンにつまっちゃった」
と肩凝りに自分でトントンしつつ首回し。漢字にこそ直せませんが、まァ何と分かりやすい形容の仕方であることでしょう。

しゃべるのが面倒くさい日は、○ン○ン系のみで会話が出来そうです。

「お元気?」

「ビンビン」

「頭痛なおった?」

「まだガンガン」

「儲かった?」

「とんとん」
と言う具合に。相手の人がちんちんになっちゃうかな。

 

 

 


 日本語が今、大きく変わろうとしている。ら抜きをはじめとする省略、はしょり等は以前にも述べた通りだ。言葉と言うものが生き物である以上、これは致し方ない。

今、私が注目しているのは敬語である。用法や崩れのことではなく、その使用目的が興味深いのだ。「今の若者は敬語ひとつ知らない」と叱られたのは我々の世代まで。ただ今現在の若者はちゃ〜んと知ってるし、ほぼ正確に話すことも出来る。ただし、彼等が敬語を使用する相手は、彼等が軽蔑する人もしくは敬遠したい人に対してであるようだ。

小・中・高生の子供さんをお持ちの方は、ちょっと子供たちの会話に耳を傾けてみて下さい。仲良し小好しだともうメチャクチャ。女の子同士でも呼び捨てで、てめェ、おいコラです。ところが仲間以外、それも派閥(あるのですよ)の敵側ででもあろうものなら、「そんなお話、お聞きしていましたかしら」
てな調子。

「あの方、お忘れものをなさって廊下に立たされていらっしゃったわ」
なんて悪口の言い方をするのです。敬語はどうやら軽語、敬(遠)語となりつつあるようです。

そこで平針弁講座。

《ござらっせる》調で語られたら人間はおしまいだ、みたいなところが平針にはあります。軽蔑していたり、オラには関係ないこっちゃだったりする人間関係の場合、人はこの《ござらっせる》で語られてしまうのです。今時の若者とよく似ていますね。

こうして見ると、それは一見、強い仲間意識からくる排他性のように思えますが、ちがうんだなアこれが。若者の敬語はもちろん排他用語ですが、平針のは違う。敬語が武家言葉でしょ? ここがミソです。

平針はずーっと農村社会でありますが、そのルーツをたどればみんな武士。

村瀬系は信長に奇襲をかけられた今川の流れ(だから単語にちょっと公家語が残る)なのだそうです。逃げて鳴海と知多半島と、ここ平針に落ち着いたと言います。各地の村瀬は同じ《ちがい鷹の羽》の家紋を持ち、初めの先祖さんのお墓は武家を表わす屋根付き。

須賀系は岩村城から来た偉いさん。

そして横地は横地城のお殿さま。

みーんな、この穏やかな平針の地で刀を捨てて百姓となり、平和に平和にやってきたのです。切った張ったのサムライなんてダーイ嫌い。ござるござるはアッカンベー。だからアッカンベーの奴にはアッカンベーの時代の言葉を使うんじゃないのかしら。ちがうかなぁ・・・・・。

ちなみに、丁寧な時には《りゃあす》、本当に敬ったり尊んだりする時には《みえる》を使うようです