人のうわさ話はなかなか面白いものです。《うわさ話》というと少々悪い意味のようですが、身近な人のことはいずれにしても聞きたいものです。《風の便り》ですね。

風の便りを届けてくれる人は町内に必ず1人や2人いて、「ここだけの話」をあっちゃこっちゃでして下さるので、私達は居ながらにしていろんな人のことを知ることが出来ます。

風の便りの配達人はやっぱり人から聞いたことを言うので、そういう時は「げな」を使用します。

「あすこのおじいさんてゃあ、どうしやあしたろう」

「死なしたげなよ」
と言う具合です。ちょっと使用例が良くありませんでした。すみません。

ところで、うわさ話をする際にちょっと気をつけねばならないことは敬語の有無です。変に敬語が使用されているときは要注意。軽蔑のニュアアンスが混じっている場合が多いのです。

「嫁さん、どうしとらっせるの」

「知らんがね。安気に昼寝してござるもん」
てな感じ。

同様に、文句なしで誉められてもいけないのです。

「えりゃあ様だで」
といわれたら「威張りでタカビー」のこと。

「あの人は幸せな人だでよォ」
と言われたら「間抜けでトロくて何ンにも分かっとらんアンポンタン」と言われてることなのです。

しかし、これはひょっとしたら平針だけの事ではなく日本全体に言える事なのかもしれません。

お嬢様、ボンボン等育ちの良さを称える言葉は多くの場合、誉め言葉ではありません。「世間知らずのアホ」になっています。

我国では《苦労人》や《貧困から立ち上がって今日》系がどうも好まれているようです。好まれているのですが、いざ成り上がってみると「出が出だで」みたいに言われちゃう。

文句の付けようがない、突っつきようのない人物像をちょっと考えてみましょうか。

・・・・・・格式の高い大金持ちの家に生まれ、教養・躾共々バッチリ身に付けた上で、生家は一旦没落。大変な苦労の果てに自力で(ここが肝心。何らかのお助けがあると、運が良かったんだわでチョン切られちゃう)這い上がり、またデーンと屋敷を構える(でないとケチと言われる)。

大金持ちに返り咲いた後にけっして尊大な態度に出てはいけない。あくまでも腰は低く。つまり《実るほど頭を垂れる稲穂》を実践するのです。「今日は」のかわりに「すみません、お世話になっております」を連発するくらいでちょうどであります。

生活態度はもちろん質実剛健。間違ってもブランドを着たり、外車に乗ってはいけません。《収入に見合った消費は社会に対するエチケット》というのが資本主義社会を支える思想なのですが、そんなものを貫いてはいけないのです。

江戸時代の5人組制度は生きています。互いに見張り合って生活しているこの日本村で、ワキアイアイでいこうと思ったら、他より一歩でも抜きんでてはいけないのです。さすがにお代官様にはチクられませんが、かわりに寄ってたかって《イジメ》られます。資本主義も自由主義も日本じゃキチンと定着しないな、と思えるのはそこらへんの理由からです。いかんいかん。話がずいぶん逸れました。要するに、うわさ話は軽ゥく聞けば良いのです。

「げなげな話は嘘だげな」

噂話のあり方を、そう看破した平針人は、やっぱりエライ!

 

 

 


ゲナゲナと人のうわさ話ばかりをしているわけにはまいりません。世は自己主張の時代です。

日本語には断定の言い切りというのがあり、

「オレが村田だ」
がその例。「余が水戸黄門じゃ」の『じゃ』もその仲間ですね。

平針では『がね』をひっつけて断定のかたちをとります。

「私が淳子だがね」。

だからどうした文句があるか的なふてぶてしさの中に、何とも言えない可愛らしさが漂ってませんか?

ある夫婦のある日のケンカ。

「てみゃあ、クソたあけ。いちいち文句こきゃがって、何様だとおもっとるんだ!」

「あんたの奥様だがね」

ケンカはこれでちょん。この威風堂々に誰がさからえます? ケロリとした茶目っ気に親父も「たわけェ、何こいとるゥ」とヤニ下がって完敗。おつにすました標準語ではこうはいかない。方言の良いところですね。

「私のモノだがね」「知らんがね」のように自信タップリに断定することが出来ない場合、平針人は「だに」を使います。

「そんなことをやったらいかんのだにィ」

『いかんがね』と断定しない所にこの人の逃げ腰がうかがわれます。決めつけたらこの人に嫌われるんじゃないか、おこられるんじゃないかと言うおっかなビックリの結果、伝聞形をとっちゃうのです。私は良いけど、普通からしたらいかん事になってるんですよォてな思いなのでしょうね。また、伝聞形をとってやんわりと責任を逃れ、私には関係ないけどサ、みたいな面も表現してる場合もあるみたいです。

したがって、この「がね」と「だに」で性格分析のマネ事もちょっとできますよね。

厳しい戦中戦後に青春を送り、嫁しては姑に仕え、田畑に血の汗を滲み込ませつつ子育てを成した平針のオバサン達はおおむね「がね」派。自信も貫禄もタップリ。

「自分のケツぐらい自分で拭くがね」
と責任の所在もしっかり宣言します。

少し年代が下がれば「だに」派が多いかな。かないませんもん「がね」派には。あたりさわりがないよう、万事ことなくつつがなく暮らすには「だに」が何より。気弱な心をかくしつつ、ポイとつき離すあたりが、ちょっとクールで良い感じですよね。

さて、あなたは「がね」派? それとも「だに」派?